知的障がいを持つ人の暮らす場所の一つ 入所型施設の歴史
     
  知的障がい者の方々は、知っている人がいる街、生まれ育ったところで住み続けたいと希望しています。それは、守る人が街中に沢山いるからです。
 保護者が家庭で養護できなくなった時点から、そうした願いは続かず、それまでの作業所などにも通えなくなります。地域の暮らしから、施設の暮らしへ、
そしてその施設も遠い地へと変わっていくのです。措置をするという時代の出来事でした。
 昭和30〜60年代、入所型施設は、公設以外東京では作れない時代がありました。そして沢山の都外に施設を作ることがすすんでいました。 
昭和52年そんな背景の中、「日の出太陽の家の建設計画」は始まりました


 この時代、知的障がい者施設は都内にはできないのが常識化した状態でした。そこへの挑戦ですから、住民にも行政にも理解を得るには、たくさんの時間を必要としました。

 施設建設計画を立てたのは、大阪で会社を経営し事業拡大を続けているさなかに社長職をを弟さんに譲って福祉畑に飛び込んできた前理事長中島正清氏です。
 こうした困難な状況に置かれた時に、中島氏の計画している都内施設建設の意義を感じたボランテイアの皆さんが、この建設計画を支援し、息長く活動を続け、日の出太陽の家は昭和62年開所となりました。
 開所にたどり着いたのは、中島さんと家族の努力が一番ですが、ボランテイア活動で中島氏を支えた皆さん。そして都内で一番最初に施設建設に同意をした地元自治会・日の出町の皆さん。3者の力があって都内建設の歴史が始まったのです。
 民間新法人で新しい場所に施設ができたのはさやま園以来23年ぶりです。翌年には奥多摩町に、次いで八王子市内に福生市内にと都内に建設が開始されました。
 しかしながら、都内にできる様になった昭和62年以降も、都外施設は10年間も作り続けられました。 が、平成9年を最後に東京都は都外施設建設を認めなくなりました。
 しかし、23区内には、土地が高い住民理解が進まないとできず、多摩地域に施設が集中して建設される時期がありました。 
 そして、10年後、平成18年障がい者自立支援法施行で、知的障がい者入所施設は、生涯入所型から一時利用型・地域移行型へ大きく入形態が変わりました。また人口あたりの施設数が建設認可要件に加わり、23区内未設置箇所だけが建設認可の対象となりました。今後は、利用型入所支援施設を核として、グループホーム、ケアーホーム等で暮らす地域生活方式に変わっていくことになります。

これから10年後既存の入所型施設はどう変わって行くのでしょう
    これからは障がい者(障害者を使わない)と表現されるそうです。イメージが変わって住みやすい社会に少しでも進むといいですね  
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